結婚後10年が経過。倦怠期に思うこと

私はいま四五歳。あと五五年は生きられるかもしれない。その日に思いをはせると、
チェサピーク湾にほど近い丘の上に建つ古ぼけたこけら屋根のこの家で、わが夫チャックのそばにいる自分の姿が目に浮かぶ。
結婚して今年で一二年だが、すでに一世紀もたったような気がする。
なのに、まだあと数十年も一緒にいるなんて?このブログを書くための調査に費やした三年間で、私は自分の結婚を見つめ、他の数多くの結婚を綿密に調べ上げてきたが、
そのプロセスは私の目を開かせてくれたと同時に、心をえぐるようなものでもあった。
なぜなら、結婚そのものがときには残酷で、ほぼいつも困難に満ち、安心していられる時期などめったにないからである。
自分の結婚生活で七転八倒している私に、女友達は「完ぺきなものなんてこの世にないのよ」だの
「結婚した相手がまちがっていたのかも」だの「あなたの努力が足らないわ」だの、さまざまな意見をいった。
そして、彼女たちが同様の倦怠期を経験したときには、私もお返しに、似たような意見をいってあげたものだ。
夫婦の関係を理解したり、説明したりすることは不可能だが、明らかでたしかなことがひとつだけある。
それは、男性軍が妻たちのことを何も気にかけてくれないように感じるときでも、女性軍はずっと励まし続けてくれる、ということだ。

こうして、自分の腹立たしさが治まったら、部屋にもどり、何も言わずに夫のそばに行きます。おそらくあなたがそばに来て立っていることから、あなたのメッセージを夫は読みとると思います。そして、自分がいつの間にかやっている行為に気がつくと思います。夫に触れる必要はありません。

参考:安心 出会系